2005/08/15
<どちらにしても、証拠不十分なので、はっきりと断言することはできないが、日米戦争の疑問点は、軍幹部の証言、著書などから、海軍はもとより、陸軍も勝てる見込みがない。「自信がない」と陸軍参謀本部のメンバーは記しており、なぜ勝てる目込みがないのに日米開戦へと向かったのか??という疑問が付いてまわる。日米戦争(中国戦線、米、英、豪、蘭、ソとの戦争を総称して大東亜戦争と呼ぶ)が正当防衛だと言える根拠は次のとおりである。
1.近衛内閣では、陸軍海軍の意見を聞いて、勝ち目なし、と判断し、外交交渉によって何度も回避の努力をしてきたことは史実の明らかにするところ。また、近衛-ルーズベルト会談を拒否した米側の意図が不信感を呼ぶ。
2.当時、米国世論はヨーロッパ戦線に不参加の国民世論が多かったが、チャーチルの依頼もあって、何とか国民世論を対ドイツ戦参加に納得させるための、いわばダシに使われたのが日本の真珠湾攻撃ではないか、という学者がいる。日本に先制攻撃を掛けさせ、それを口実に主たる目的のヨーロッパ戦線へ参加したのではないか?と。そのために小出しに経済制裁をして、外交交渉を長引かせ、ここぞという時に金融資産の凍結と、石油輸出の禁止を打ち出し、それを撤回するには、日本がどうしても受け入れられない、「明治以来の日本の全ての権益の放棄」を、国務長官ハルに出させたのではないか??と。
3.日本は、米国との戦争回避のために、日、独、伊、ソの四国軍事同盟を策していた。これは、日本が戦争を望んでいなかったことを証明するのに充分な根拠になる。
4.日本は一口に枢軸国と呼ばれるのが普通だが、日本の場合、ドイツやイタリアと違って、東條英機首相は、ほぼ近衛首相が日米開戦を決定したころ、戦争をするための内閣として登場し、そしてサイパン陥落の責任を取って辞任した。ということは、東條首相は、まがりなりにも民主的手法で選出された首相であり、ヒトラーや、ムッソリーニなどの独裁者とは性格を異にする。
5.日中戦争は盧溝橋事件に端を発したが、研究者の努力によって、盧溝橋事件の前に、日本人街での残酷無比な大虐殺事件が何件か起きており、これによって国民世論は中国への反感を強めていた。また、最近になって、中国共産党がコミンテルンの支持にしたがって、日本軍との騒乱を、短期に収束せず、出来るだけ長引かせ、出来るだけ国民党を疲弊させ、最終的には共産党が天下を取るという方針だったことも明らかになった。また、米国は、当時、一軍閥に過ぎなかった蒋介石を利用して、中国で金儲けを出来るようにしたいと考えていたことは常識に近い。
もちろん、ジュリアとしては、当時の日本政府が全て正しかったとは毛頭思っていない。悪弊は、軍部大臣現役武官制、治安維持法、極端な皇民化教育、等悪い点は確かにあった。しかし、近近の研究者の労作によって、米国の日本をダシにしてヨーロッパ戦線に介入しようとしたことが明らかなり、真珠湾攻撃も米国の暗号解読器によって、詳細に承知しておきながら、わざとルーズベルトが先制攻撃をさせた、という見解に、もはや批判の余地はなくなって来ている。>
<戦争調査>「間違った戦争だった」43% 毎日新聞実施
戦後60年の終戦記念日を前に、毎日新聞は13、14の両日、戦争の評価などについて全国世論調査(電話)を実施した。日本が米国や中国などと戦った戦争を「間違った戦争だった」と答えた人は43%で、「やむを得ない戦争だった」の29%より多かった。「分からない」という回答も26%あり、日本人の戦争の評価は必ずしも定まっていなかった。戦争責任に関する戦後の議論については「不十分だった」との回答が75%に上り、「十分だった」の14%を大きく上回った。(毎日新聞)
【URL】http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kusyu.t.htm