2006/01/24
<連絡です。:おばちゃんが今朝亡くなりました。>1月10日、妹の携帯から連絡が入った。葬儀日程等、指示はなかった。その後の連絡もなかった。
「おばちゃん」というのはジュリアの実の伯母だ。
幸薄き人だった。
おばちゃんの唯一の夢は、自分で生活することだった。祖父が亡くなって、兄弟だけになると、おばは独立したがった。それで、敷地内にプレハブを建て、そこで半独立の夢を叶えた。出戻り、ということもあって、家庭内での立場はなかった。
しかも、出戻りの理由が、夫の酒乱と暴力だった。それで彼女は義理の長男と、実の次男を残し、実家へ帰った。
そして、望みが叶った後、生活保護と介護を受けながら、プレハブで生活していてが、父の「もしも行ってみたら、死んでいた」というのでは世間体が悪い、という考えから、病院へ長期入院した。特養老は、お金がかかるので、病院へ頼んだ。
病院では誰も訪れる者もなく、兄弟も、子供も訪問しなかった。そして、ボケのせいで、自分の不遇も解らなかったのは神の与えた幸いだったのだろうか。
自分自身の努力というものもあるだろうが、いったいこの人は何のために生まれてきたのだろか、苦しむために生まれてきたのか?と思う人がいる。彼女もそんな一人に思える。
葬儀は隣組も呼ばず、親戚縁者も呼ばず、家族だけの密葬だったらしい。考えてみれば、彼女の味方は、祖父だけだったのかもしれない。
妹からも、父からも、葬儀日程の連絡も、要請もなく、自宅で過ごしたジュリアのせめてもの追悼文としたい。
ちなみに、その数日後、彼女はジュリアの夢枕に立って、「おら、10万円も香典もらっちゃったよ。まだ死んでもいないのになぁ。」と言って、満面の笑みを湛えていた。
【URL】http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-12-18/04_AA003.html