2006/05/15
久々にジュリアの友人、Wの墓を訪ねた。去年の8月26日に他界した友人の墓だ。
ジュリアは生きている友人、Yと共に、Wとの邂逅を満喫した。Wの墓石の花を変え、墓苑の草花を少々拝借して、Wの墓石に飾った。Wが好きだった「梅よろし」という飲み物はなかったが、お茶とメロンパンを買って手向けた。墓石の前で横になると、なんと偉大な空の大きさと、広さに襲われた。魚眼レンズでも撮り切れない程、空は広かった。そして、上州特有の強風が森の木々を使って1/fの揺らぎの心地よい演奏を奏でていた。Wの遺品の中にも1/fの揺らぎのCDが1枚あった。
たった一人の何でもない生活保護者の死が、これ程までジュリアの心を揺さぶるのは何故なのだろうか??のスターダストレビューの「木蓮の涙」を捧げたい。
墓苑参拝の帰り際、Wが「モモのところへ行きたい」と言っていた、死んだペルシャネコのモモとそっくりのネコが現れた。Wはネコが大好きだった。モモの死後、モモの遺影を飾っていた。墓苑で現れた「モモ」は、人の気配にも動じもせず、ゆっくりとジュリアの車の横を歩いていた。ペルシャネコの特徴なのか、尻尾の毛が非常にフサフサしていた。モモは何度も何度もジュリアに一瞥を与えた。モモの顔は、どう見てもWの遺影にそっくりだった。そして、モモは「さよなら」というように、尻尾を振ってみせ、追尾するジュリアを置いて、獣道へと消えていった。
四葉のクローバーがWの祭壇を草花で飾っている際に、見つけようとしないのに直に見つかったのも不思議なことだった。
昨日と一昨日、メディア関係では珍しく、NHKラジオが自殺者3万人時代の行政の対策の遅れを知らせるニュースを何度か流した。交通事故5~6千人という数字は、危機的な状況を表す数字として、県警等で頻繁にメディアで取り上げられ、巨額の予算が組まれ、シートベルト条例、携帯電話条例、危険運転致死罪条例等、法制度でも交通事故死の抑止と軽減に躍起になっている。
しかるにメディアは自殺者30.000人/年という数字が好きではないらしい。久々にNHKが自殺者3万人という数字を取り上げた。メディアで見聞きしたのは、数ヶ月前の、社民党党首の福島氏以来の気がする。要するにメディアは交通事故5千人は好きだが、自殺者3万人は嫌いなのだ。そして、自殺者3万人は、もはや手の施しようがない位、重傷に来ている。それは、第一に年齢層の広域化、第二に自殺原因の多様化だ。自殺者は小中学生から、若年層、青年、壮年、熟年、高齢者と幅が広くて、対策が立てにくい。自殺原因もとても小さな心の傷が、次第に大きくなり、死への願望が大きくなるのを現在の医療水準では抑止するスキルがない。医師のスキル不足にはうんざりだ。また、宗教の堕落も一因だ。新興宗教が金目当てで活動しているが、在来宗教、仏教は葬式仏教となり、一部の宗派を除いて、本来の宗教活動をしていない。現在の仏教は儀礼と金儲けの形式主義の葬式仏教であり、それはジュリアのかつての同僚が仕事と住職を兼務していた時に嫌になるくらい思い知らされた。高齢者の孤独化、荒廃する社会風俗、中間階級の没落と低所得層の増加、等々、原因は枚挙に暇がない。
最後に精神医療について触れておこう。幸いにもジュリアがこのページを使って何度も取り上げたY氏のその後だが、ジュリアの説得に応じて、群馬県立精神医療センターのコントミン、ヒルナミン等のメジャートランキライザー中心の治療を止めて、町医者の神経科を受診し、三環系抗うつ薬、四環系抗うつ薬を中心とした非メジャー主義の薬物投与によって、現在ではちょっと躁病ぎみに感じられる位元気になりました。
それにたいして、群馬県立精神医療センターの治療で、医療上、中程度から重症のK氏は、30代前半で仕事探しに失敗し、アルコールに溺れる日々を過ごし、それが原因で死にました。また、Wは医師から「あなたは病気ではない、性格の問題だ」と言われながらも、メジャートランキライザー偏重主義の治療を受けて、次第に欝傾向と自殺願望が強くなり、去年の夏に自死しました。もしうつ病のWが他の病院で治療を受けていたら、Wが生活保護という制約と、過疎地という困難を乗り越えて、阪神大震災、性同一障害等に対する充分なカウンセリングと適切な薬物療法を受けていたなら、二人は今も健在だったかもしれない。
【URL】http://www.pref.gunma.jp/c/12/seishin/incho.htm