2021/10/16
民主党政権がどの様な政権だったか、経済面で調べてみると図の1~3を見ると解ると思います。
所得は増えもせず、減りもしなかった。
雇用も悪くもなく、良くもない。
しかし、野田内閣から、第二次安部内閣になると、内閣支持率が急に上がっている。
一つ思うのが、国民の民主党に対する期待が大きすぎて、実際は自民党とほとんど変わりがなかった。
それが国民にとっては大きな不満であって、落胆だったのではないか?
民主党になればバラ色になると思ったけど、実際の経済はあまり変わりがなかった。
変わらないこと、現状維持は大きな期待外れにつながったのではないか?
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民主党政権はそこまでひどかったのか? 安倍政権と比べてみると…
現代ビジネス 2021.10.16 中川 右介(編集者)
1.「悪夢の民主党政権」は本当か
珍しいことに、今度の総選挙は、総理大臣が何の実績もない状態での選挙となる。
岸田総理は、国会で所信表明演説をしただけで、ひとつの法律も提案すらしていない。
「こういうことをやりたい」と言っているだけで、何もしていない。
現内閣が実績ゼロでの総選挙だ。
「総理としての実績が何もない」ことでは、野党第一党の立憲民主党の枝野幸男代表と同じだ。
いや、枝野代表には何の実績もないが、岸田総理には外務大臣などの要職の経験があるから、政治家としては実績がある――という反論があるかもしれない。
しかし枝野代表も、かつての民主党政権では官房長官や経産大臣を歴任している。
岸田総理と枝野代表は、「総理としての実績はないが、政権のひとりだった経験はある」点で同じだ。
いやいや、岸田総理はまだ何もしていないかもしれないが、自民党はずっと政権を担い、うまくやってきたが、枝野代表が前にいた民主党政権はひどかったじゃないか、とても任せられない――そう思っている人も多いだろう。
しかし、本当に民主党政権はひどかったのだろうか。
民主党への批判と言えば、安倍晋三元首相が好む「悪夢の民主党政権」がある。
「何がどう悪夢だったんですか」と質問したら、安倍元首相は「すべてが悪夢だった」とでも答えるだろう。
この民主党への「悪夢」呼ばわりほど、中身のない批判はないが、それゆえにか拡散している。
安倍元首相の、イメージ戦略はなかなかのものだ。
しかし、たしかに安倍元首相にとっては民主党政権時代は悪夢だったろうが、国民のすべてが悪夢だと思っていたわけではない。
そこで、民主党政権を政策の実現という観点から見直した本が、『民主党政権 未完の日本改革』(ちくま書房)である。
著者は民主党政権三人の首相のなかのひとり、菅直人である。
どうせ自己弁護か自慢だらけの本だろうと思うだろう。
たしかに、読む人の立場、読み方によってはそうなる。
だが、「解釈」はさまざまだが、民主党政権3年3ヵ月間で、何をやったという「事実」は事実として記されていると思う。
実は私はこの本の編集に関わっているので、第三者ではない。
関係者による紹介記事となるが、だからこそ、事実のみを記したいと思う。
2.マニフェストの意外な達成率
民主党政権といえば、「マニフェスト」を思い出す人も多いだろう。
忘れている人も多いが、子ども手当、高校無償化、高速道路無料化などを約束した。
さらに、マニフェストには記載されていなかったが、鳩山代表が沖縄の米軍普天間基地を「最低でも県外」に移転させると約束した。
最も期待はずれに終わったのが、この普天間基地の移設問題だ。
あるいは、マニフェストにはなかったのに、消費税の増税を決めたことも批判された。
民主党のマニフェストは抽象的な選挙公約ではなく、具体的な数値も列記し、達成されたかどうかが検証可能なものとして作られた。
次の総選挙のときには、どれくらい達成されたかを検証し、それでさらに政権を続けさせてほしいと、有権者に問うはずだった。
実際、民主党は2012年の総選挙の直前に、マニフェストを検証し発表しているのだが、それはほとんど話題にならなかった。
私のように民主党を支持していた人間でも、2012年の総選挙のときは、「あのマニフェストは、どれくらい達成されたのだろう」と調べることもしなかった。
なんとなく、マニフェストはほとんど実現できなかったと思ってしまった。
だが、75%は達成されていたのだ。
民主党政権の失敗
ネット上に、そのマニフェストの検証がまだ残っているので、参照されたい(https://www.dpj.or.jp/article/101657)。
見ていただければ、民主党のマニフェストはかなり細かかったことが分かる。
そして、達成率も、意外と高い。
政策項目は全部で164あり、それを、「実現」「一部実施」「着手」「未着手」の4段階に評価している。
その結果を分野ごとに示すと、
となる。「外交」については相手があるし、長期的な課題が多いので、達成の評価からは除外されている。
残り147のうち「実現」は50なので、34%だが、「一部実現」の60も加えれば110で、74.8%となる。
全体の4分の3は何らかの形で実現したのだ。
民主党政権は3年3ヵ月だった。マニフェストは「4年間で実現する」と約束したものなので、あと9ヵ月続けば、もっと、高くなったはずだ。
民主党政権のマニフェストは、もともと「暮し」に関するものが多く、子育て、教育、医療、年金の分野は項目数も多く達成率も高い。
子ども手当で生まれたときから中学卒業まで、高校無償化でさらに3年間をカバーし、社会全体で子育てと教育の経費を出そうという社会を目指した。
実現しなかったなかには、原発を推進するというようなものもあり、これは東電の原発事故を受けて政策転換したから、あえて、着手しなかった。
民主党政権の失敗は、「マニフェストを75%しか達成できなかった」ことではなく、「75%も達成したのに、それをPRできなかった」ことにある。
3. 何につまずいたのか
実現できなかったもの、規模を縮小したものもあるが、なぜそうなったか。
民主党がマニフェストで挙げた政策の多くは、実現するためには、新しい法律の制定や、既存の法律の改正が必要だ。
予算も確保しなければならなかった。
政策とは、そういうものなのだ。演説すればいいというものではない。
そして法律の制定・改正には、国会の両院での議決を必要とする。
しかし民主党は、2009年8月の衆議院の総選挙では圧勝したものの、参議院では過半数を取っていなかった。
そのため社民党と国民新党との連立政権として、かろうじて過半数となっていた。
だが、普天間基地の移転問題で社民党は連立から離脱した。
そして2010年夏の参議院選挙で、民主党は議席を減らしてしまい、「ねじれ国会」となった。
法案を通すためには野党である自民党・公明党との妥協を強いられた。
自民党・公明党が反対して廃案になったものもある。
参議院で過半数を取れなかったのは民主党に責任があるので自業自得だが、野党・自民党・公明党が「反対ばかりしていた」ので、法律が作れず実現しなかった政策も多いのだ。
『民主党政権 未完の日本改革』では、マニフェストの全項目ではないが、かなりの項目を紹介してある。
また、達成できなかった項目についても、普天間基地、八ッ場ダム、ガソリンの暫定税率廃止、高速道路無料化などについて、その理由について述べてある。
大臣がその気になればできること
新しい法律が必要なく、予算も必要のない改革が、情報公開だ。
大臣がその気になれば、その省の官僚が隠していることも公開させられる。
民主党政権では岡田克也外務大臣が、沖縄返還の時に日米間の「密約」があったことを認めた。
その経緯も、この本には載っている。
あまり知られていなことでは、太平洋戦争中の激戦地である硫黄島に残っている、日本兵の遺骨の埋められている場所を、アメリカへ調査チームを派遣して突き止め、掘り起こしたことも載っている。
4.3.11とコロナ禍
民主党政権時代の最大の出来事は、東日本大震災と東電福島第一原発の事故だ。
この震災・原発事故という危機対応についても批判された。
安倍元首相の言う「悪夢」のひとつだろう。
だが、その後、昨年からのコロナ禍での安倍政権・菅(すが)政権の対応を見て、「さすが、民主党とは違う。
危機管理に長けている自民党政権ならではだ」と思った人はどれくらいいるのだろう。
『民主党政権 未完の日本改革』でも、この震災・原発事故対応について、当事者である菅直人元首相の視点での、検証というか、総括がなされている。
原発事故では、当時の菅直人首相は早い段階で「最悪の事態」を想定し、そうならないためには何をしたらいいかを考えて、実行していった過程が書かれている。
民主党政権が対応した危機では、大震災・原発事故のほか、尖閣諸島中国漁船衝突事件、日航経営破綻についても詳述されている。
「そんなの自分の都合のいいように解釈しているのに決まっている、自己弁護か言い訳、あるいは自画自賛だろう」と思う人もいるだろう。
そんなところに、今月、『安倍晋三と菅直人 非常事態のリーダーシップ』(尾中香尚里著、集英社新書)という本が出た。
著者の尾中氏は元毎日新聞の記者である。
この本では、コロナ禍に安倍政権がどのように対応していったかを、時系列にしたがって、当時の政府の記者会見などを採録しながら検証していく。
それと並行して、同じように未曾有の国難だった、東日本大震災・東電原発事故での菅直人内閣の対応も、当時の記録や関連資料をもとに描き、対比させ、その違いを浮き立たせている。
偶然だが、コロナ禍と大震災・原発事故とは季節がほぼ同じだ。
大震災・原発事故は3月11日で、菅直人総理が辞任したのは9月2日だ。
コロナ禍が全国的な大問題となるのは、2020年2月下旬にイベント自粛や学校の休校を政府が要請してからで、安倍総理が辞任したのは同年8月28日である。
2つの国難が春の初めから夏までだったという、この「発見」がこの本のベースにある。
3月から8月までの約半年という同じ時間が流れたなか、安倍晋三、菅直人の二人の総理が未曾有の危機に、それぞれどう対応していたかが描かれている。
これを読むと、安倍政権と菅(かん)政権との最大の違いが、危機の早い段階でトップである首相が「最悪の事態」を想定したかどうかだったことがよく分かる。
その危機感が、菅直人総理をして、大震災・原発事故発生の翌日早朝の現地視察へつながる。
この視察もかなり批判されたが、その意図と影響について、事実に基づいて検証されている。
さらに、コロナ禍と原発事故とでの両政権の「危機の認識力」「国民への言葉」「権力の使い方」「補償」など個々の対応を徹底比較している。
その検証の材料は、いずれも記者会見や公開された文書をもとにしており、客観的な事実に基づいている。
その結果、安倍政権に厳しく、菅直人政権を評価している。
積み上げた事実を素直に解釈すれば、どうしても安倍政権には批判的になってしまうのだろう。
あの大震災・原発事故のときの官房長官が、枝野代表だ。
当然、『安倍晋三と菅直人』には、枝野官房長官の活躍ぶりも描かれている。
民主党のど真ん中にいた菅直人元総理による『民主党政権 未完の日本改革』と、ジャーナリストによる『安倍晋三と菅直人』の二冊は、いつまた大災害が起きるかわからないなか、危機に対応できるのは、自民党政権と立憲民主党を中心とした政権のどちらかなのかの判断材料のひとつになる。
中川 右介(編集者)