2006/07/18
<先日、友人がこんなことを言った。「ジュリアさんの出自と出生は調べれば解るんだから、、、、あなたは普通じゃないんだから、出自などでめげないで、たとえ家がどんなでも、頑張らなくてはならない」と。
まぁ、本人は激励しているつもりなのだろうが、ジュリアにとっては友人が差別にとらわれていることが残念だったし、ジュリアはその時、「この人も俺が他の人と何ら、一切変わらない価値を持っていることを否定しているのか。」と思って残念だった。
とゆうのも、ジュリアの妹は「私たちが普通で、一般の人と何も変わらないっていうのをどうして理解してくれないのかな。」と言った、素直で率直な言葉と比べてしまうからだ。妹はことの真髄を良く理解し、嬉しく思う。しかし、この友人のように、激励しているつもりでも、何かこだわりを持っていて、特別視する人が多いのは、いささか不満だ。
ところで、ジュリアは高校の時、ハングル講座を独学で学んだこともある韓国好きだったが、成長すると共に、韓国人が嫌いになった。理由は単純だ。それは、韓国人が日本と日本人の悪口ばかりいうからだ。だから、竹島を横取りしようとする韓国政府と日韓戦争映画に熱中する韓国人が大嫌いだ。
在日朝鮮人差別については左翼の論客や、マスメディアでも陳謝と反省の声が良く聞こえるが、同じ日本人同士の差別については、左翼の論客も、メディアも沈黙を押し通している。それは、日本人同士の身分差別が、現在でも生々しく、「非常に特別なこと」という共通認識があるからだ。竹島を不法占拠され、日本国に罵声をあびせる人たちのことは、大声で擁護、弁護するが、日本国内で触れることさえ禁止されているタブー的身分差別については、左翼の論客も、政界から恐れられる弁士も、笑ってごまかすだけなのだ。ジュリアはこのような、左翼の論客の国内身分差別を見てみぬ振りし、助長し、笑ってごまかす心の底を見抜いてしまった。物言う差別には擁護を、そして物言わぬ国内差別には嘲笑を、それが彼ら、言論界、メディアのやり方なのだ。>